No.296911

【TB・虎兎】禁断の木の実は一番おいしい Forbidden fruit is sweetest 3【腐向】

木守ヒオさん

■Forbidden fruit is sweetest: 3  禁断の木の実は一番おいしい ■木守ヒオの、虎兎で加わった方です。虎兎南国リゾートあっちこっち編、第三回。またあとでちょこまか修正入れます。多分。今日はもう寝ないと無理だ……。■次回は9月23日のオンリー合わせの原稿が終わってからになります。今から書いたとして、百ページぐらいの本になるかなー。基本的に明るく幸せで元気、でも18Rの本になる予定。このお話も続けて書きたいけど、絵を描く木守さんも原稿に入るから、小説を書いても扉絵が間に合わないんです。私がいつも突然書くから、迷惑ばっかかけて本当にごめんなさいなので、木守さんの原稿もがんばって手伝ってきます。■うう、そしてもうすぐ本編、最終回ですね。黒タイガー、中の回路にバーナビーの両親のなんかこう、遺産みたいな回路が入ってて、バーナビーを傷つけないとかなら良いのに。助けてあげて欲しい。といいますか、両親からバーナビーに遺されるなにかがあって欲しい。ロボットは一つあるけど、サマンサさんも助かってないならなんか……(泣)■ではでは、ちょっとでも楽しんでいただけたら幸いです。書いた本人は楽しい♪ ではでは、おやすみなさい。

2011-09-10 02:32:39 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1036   閲覧ユーザー数:1034

 

 

   3

 

 まぶた越しにちらちらと光が揺れる。

 なんだが瑞々しい匂いがして、バーナビーは自分がどこかの草原で眠っているような気がした。

 繰り返す潮騒が、子守歌のように聞こえる。

 それでもだんだん眠りが浅くなってきて、さらさらした柔らかい生地のシーツやタオルケットの感触を心地よく感じていると、なにかがふわりとそばに落ちた気配がした。

 

(……眩しい?)

 

 無意識にまぶたが開くと、目の前に白と柔らかいピンクの大きな花が見えた。

 

「ありゃ、目ぇ覚めちまったか」

「残念、そして残念だ」

 

 笑いを含んだ、楽しそうな声が聞こえて瞬きを繰り返す。

 無意識に手が動いたのは、メガネを探すためだった。だが、ヘッドボードに届く前に、なにやら柔らかくてひんやりとしたものに手が当たって、今度こそはっきりと目が開く。

 慌てて起き上がると、バーナビーの回りになぜかたくさんの花が散乱していた。

 

「え? なんですか、これ」

「あんまり気持ちよさそうに寝てるから、プレゼントしたんだよ。なあ?」

「ああ。朝のジョギングのついでに摘んできたんだ。バーナビー君はあまり匂いの強い花が好きじゃなさそうだから、綺麗でもあまり匂わないものを選んだのだけど、ワイルド君が君を驚かそうと言うものだから。ともあれ、おはよう、バーナビー君」

「俺もスカイハイが来てからその辺りで摘んできたんだぜ。眠りの国の王子様にはピッタリだろ?」

 

 無邪気に笑うキースとにやにやしながら説明する虎徹に、バーナビーは腹の底から深い息をついた。

 

「そういうのはプレゼントじゃなくて悪戯って言うんですよ。まったく……」

 

 いい年をした大の大人が、しかも男二人がなにをやっているのだと言いたくもなる。

 

「そう言うなって。おはようさん。気持ちよさそうな顔して寝てたぜ。顔色もすっかり良くなったし、よく眠れたんだな。もうすぐ昼だぞ?」

「え、もうそんな時間なんですか!?」

「11時を過ぎているね」

 

 風邪でもひいたのでなければ、こんな時間まで惰眠を貪るなんてことはないバーナビーだ。

 慌ててベッドから降りようとすると、立ち上がる前に好き放題に寝癖がついてしまった頭に虎徹が手を置いて言った。

 

「ちょいちょい、起きたらまずは挨拶だろ」

「あ…はい。おはようございます」

「よし。ひとっ風呂浴びてきな。仕事は昼飯食ってからって頼んであるから、心配いらねえぞ」

「それは…すみません。すぐ支度します」

 

 笑って離れた虎徹の言葉で、仕事の約束の時間を1時間も寝過ごしてしまったことに改めて思い至り、バーナビーは詫びを言うのもそこそこにバスルームに急ぐ。

 どうして起こさなかったのかと文句を言うのは甘えだ。こんな形で仕事に穴を空けてしまったのが信じられない。

 カゴにタオルと着替えを入れてバスルームに入ると、ふわりと優しい湯気に包まれた。

 バスルームは手洗いと浴室、ガラスで仕切ったシャワーブースに別れているのだが、この湯気は湯船に張られたお湯のものだ。

 広いバスタブは白い陶器製で、壁や床の一部は様々な色の小さなタイルを組み合わせた美しいモザイク模様になっている。青と緑の中に、時折花のように混じる赤と黄色のタイルが美しい。

 それなのにバスタブから漂ってくる匂いは以前虎徹が言っていた「疲れが良く取れる日本製の入浴剤」とやらで、優雅な浴室とのギャップがなんだか可笑しかった。

 お人好しな虎徹のこと。調子を崩した自分に気を遣っていることが伝わって、それが素直に嬉しかったのだ。

 

「………お節介」

 

 バスタブに入って手足を伸ばし、タイルで夜明けの海を描いた天井を見上げたバーナビーの口から漏れた文句は、やけに柔らかい響きで、そんな自分に驚く。

 思い起こせば、最初はイライラさせられてばかりだった。

 食欲がないからいらないと言っても昼食にホットドッグを押しつけられたり、必要ないと言っても心ない質問をぶつけてくるインタビュアーから庇ったり、どんなに拒絶しても態度を変えない虎徹の頑固さとしつこさには、本当に辟易していた。

 最初はいちいち文句を言っていたが、懲りない虎徹にこっちが根負けする形になり、それどころか最近ではそばにいても前ほどは気にならない。

 もしかしたら、虎徹の存在に慣れたということなのかも知れない。

 

「はぁ……」

 

 深いため息をついて目を閉じ、ずるずると陶器のバスタブを滑ってお湯の中に潜っていく。

 頭までどっぷり浸かって目を開くと、入浴剤の淡い緑に染まった視界の向こうがゆらゆらと揺れていた。

 この色は、虎徹のヒーロースーツのトレードカラーだ。

 

(なんだか、おじさんの中に僕が入り込んだみたいだな)

 

 緑のお湯は温かく、優しくバーナビーを包み込む。

 ふざけることが多いが、彼は馬鹿馬鹿しくなるぐらいにお人好しで、優しいのだ。

 ジェイクとの戦いの時にも、どう戦っても力が及ばず、己の無力さが悔しくて悲しくて、バーナビーが崩れてしまったその時に、来てくれた。

 いつも一人でいることを当然と思っていただけに、誰かの手に支えられる瞬間があるなんて思いもしなかった。

 そして、その温もりがどんなに勇気を与えてくれるのかも。

 絶対に礼など言わないが、このお湯の中は少しだけあの時心に感じた温もりに似てる気がする。

 

「おーい、バニー? 長いけど、大丈夫かあ?」

「……今出ます」

 

 そのまま息が苦しくなるまではと思ってぼんやりとしていたのだが、どうやら待ちかねたらしい。外から虎徹の声が聞こえて、バーナビーは名残惜しくお湯の中から顔を出した。

 

「湯加減はどうだよ?」

 

 丁度そこにガラス戸を開けて虎徹が入って来る。

 

「ちょっと、人の入浴中に入ってくるって、どういう神経してるんですか?」

「どうせ見えねえよ。珍しく長風呂だから、一応心配しただけだ。頭も洗ったのか?」

 

 洗ったわけではないが、湯船に潜ったと言うのも言い難い。なにも言わずに横に置かれた観葉植物の濃い緑の葉を手慰んでいたら、虎徹は小さく笑って立ち上がった。

 

「のぼせる前に出ろよ。タオルはカゴの中、着替えは引き出しの中だ」

「わかってます。…っていうか、自分でもう用意してますよ」

 

 入ってきた時と同じように、虎徹が飄々とした様子で出ていき、バーナビーはうんざりと大きな息をついた。

 少し印象が良くなったと思った途端に、これだ。あのつかみ所のなさは本当にどうしようもないと呆れたくもなる。

 とりあえずこれ以上時間を掛けてまた押し入って来られてはたまらないので、バーナビーは素直に上がることにした。

 着替えに選んだのはTシャツとジーンズだ。昨日のように肌を露出するグラビアを撮るなら痕が残らない配慮が必要だが、今日は服を着ると聞いている。

 グラビア用の着替えは用意されているので、私服のままでも問題ない。

 

「スカイハイさんも、おはようございます。さっきはすみませんでした」

「おはよう、そしておはよう! 気にしなくても良いよ。私も悪ふざけをしてしまって済まなかった。とんでもない目に遭ったと聞いてね、優しい匂いのものは気持ちが安らぐんじゃないかと思ったものだから」

「オジサンが話したんですね?」

 

 メガネをかけながら虎徹を睨むと、虎徹は皮を剥いた果物をあれこれ皿に並べながら笑って言った。

 

「ああ、ずいぶん待ちぼうけさせちまったからな。なにがあったかぐらいは説明しなきゃなんねえだろ。おまえも移動のあとすぐに撮影であの騒動だったんだ。疲れちまうのも無理はねえさ。なにせ、さあバカンスだと思ってたのに昼飯抜きの腹ぺこのまま引っ張り回されたんだから」

「本当に気の毒な話だよ。私もいれば、少しは力になれたかも知れないのに」

「もういいから二人とも食え! 起き抜けは果物が良いんだってよ。オマケのミルクティとトーストもな。あとスカイハイ! タマゴは普通に食えよ!」

「はあ、じゃあいただきます」

「私にとっては普通なのだが…わかった。作ってくれたのはワイルド君だからね」

 

 どうやら、それなりに気を遣った説明はしていたらしい。少し意外に感じながらもバーナビーは適当に相づちを打って、虎徹に勧められた皿に手を伸ばした。

 それから三十分もしないうちに、バーナビーは肉料理のないあっさりとした朝食兼昼食を綺麗に平らげて身支度を調え、ようやくコテージを出た。

 虎徹はいつものハンチングを被らずに手に持っている。どんなカットを撮るかわからないので気を遣ったようだ。

 

「今日も良い天気だな。見ろよ、入り江の向こうなんか真っ青だ」

「うんうん。でも、風の流れからすると、近々荒れそうだね」

「やっぱりそうか? 荒れた海ってのは見物だが、この辺りの波は管理されてるらしいからな」

 

 歩きやすい湿った砂の上を歩きながら話す二人の声を聞きながら、バーナビーは昨日と同じく穏やかに横たわる海を眺める。

 こうして見ているとただ美しいこの海に、なにか得体の知れないものが潜んでいるかと思うと、知らず肌が泡立つような気がした。

 

「なあ、バニー?」

「え?」

「なんだよ、聞いてなかったのか。もしハリケーンが来たらどうする? って話だよ」

「ハリケーン……あのコテージでは危ないのではないですか?」

「詳しいシステムは知らねぇが、向こうの入り江からこっちは大波を被る心配はねぇんだと。それに、あのコテージは避難させられるらしいし」

「避難?」

 

 意味がわからない。首を傾げて改めて虎徹に向きなおると、キースが笑って付け足してくれた。

 

「そうなんだ。ほら、後ろにハイビスカスの群生があるだろう? あそこに避難場所が隠れていてね、入り口が大きく開いて、コテージごと収納出来るようになってるんだよ。その間泊まっている客はホテルの本館の方へ移動になるそうだ」

「どちらにしても面倒ですね。僕はおじさんの好きな方で構いませんよ。ただ、ハリケーンの見物をなさりたいならお一人でどうぞ」

「そんな趣味はねえよ。よう、おつかれ」

「どうも。ご友人に会えましたか。良かった」

 

 一段高くなったホテルの入り口でにこやかなドアマンと虎徹が挨拶をかわし、バーナビーも笑顔で会釈する。

 建前では「サリでは政治家もヒーローもない」とは言え、やはりあちらこちらから飛んでくる好奇の視線はどうしようもなかった。

 バーナビーは顔を出してヒーロー活動をしているのだ。マーベリックに勧められたのがきっかけでも、自分で決めたことなのだから仕方がないが、疲れないと言えば嘘になる。

 最近は、特にそう感じることが増えた。

 意識して時々恥ずかしそうに笑顔を向けてくる女性に微笑みを返しながら、バーナビーは虎徹のあとについて巨大な吹き抜けになっているメインロビーを横切り、大きなエレベーターに入った。

 ここのエレベータは強化ガラス製で、見事なロビーやビーチを見渡せるようになっている。

 

「それにしても、あのシャンデリアは凄いな」

「ホテル自慢の五つのシャンデリアだね。掃除の時はどうしているのだろう。私がいれば、手伝ってさしあげたいぐらいだね」

「それはちょっと……。だって、スカイハイさんの場合は風を使うでしょう? 掃除の前に埃が思いっきり落ちませんか?」

「う、確かに」

 

 虎徹とキースがしみじみと眺めたのは、広いロビーの天井から螺旋状に吊された五つの巨大なシャンデリアだった。

 どれも精緻なクリスタル製で、値段がつけられないというようなことが、虎徹の買ったパンフレットにも書いてあった。

 

「それに、地震でもあったら危険ですよ。あれが落ちたらと思うと、ちょっとぞっとしますね」

「あー、この辺りはちょこちょこあるらしいしな。けど、火山はおっかねえが温泉があるのはいいぜ」

「確かに、温泉は良い! バーナビー君はもう入ったかい?」

「いいえ。興味もありませんから」

「なんてもったいない! 入るべきだ! そして、堪能するべきだよ。私も最初は興味がなかったが、あれはやめられない」

「まあ待てよ。バニーはあとで俺がとっておきの秘湯に連れてってやるから。……お、こっちだぜ」

 

 話しているうちにエレベータが停まり、先にアイマスクをつけながら虎徹が降りた。七階だ。

 廊下の広さは大人が三人通れる程。壁や天井は柔らかなアイボリーで、床のカーペットは海のような深い青だった。

 窓は大きい。広々と見渡せる風景は色合いの柔らかな町並みと美しい海で、見慣れたシュテルンビルトの光景との落差に不思議な気分になる。

 

「レストラン…ですか?」

「ああ。右が普通のフロア、こっちは個室だ。飯も食えるけど、今回みたいに撮影にもよく使うらしい。よう、待たせちまったな」

「タイガーさん、バーナビーさんも!」

 

 奥の白い扉が開いて顔を見せたのは、カメラマンのフラビオだった。

 そのうしろからすっかり元気になった様子のマチューもぺこりと頭を下げる。

 

「おはようございます。昨日はご迷惑をおかけしまして。あ、こちらもご友人の方ですね」

「はい、私はキース・グッドマンと申します。では、ワイルド君、バーナビー君。私は向こうで待っているよ」

「あ…はい」

 

 一体どこに行くのかと思いつつ見送っていると、虎徹が耳元で「バイソンたちも来てるだろ?」とこっそり教えてくれた。

 

「では、どうぞこちらに。ルッツ、お二人がお見えだ」

 

 フラビオに通されて入った個室は、思ったよりも広かった。やはり窓が大きく、ブラインドではなく南国模様の布がカーテンの代わりに掛けられている。

 壁紙はまるで熱帯の森の中のような絵になっていて、雰囲気を合わせたエキゾチックなデザインのソファは広くて柔らかく、ラグには赤く染めた麻が使われていた。

 

「こちらへ。着替えと簡単なメイクをします」

 

 相変わらず無口で筋肉質なスタイリスト、ルッツの会釈に応えて会釈を返すと、マチューが二人に服を手渡してきた。

 バーナビーのは手触りの良い白いシャツと麻のパンツ、虎徹の分は黒いシャツと渋い緑の麻のスーツである。

 自分はともかく、虎徹が背景に溶け込んでしまうのではないかと思ったが、いざ袖を通したところを見ると、密林の影に潜んで獲物を狙う大型の猫科の獣のような凄みがあって、少し驚いた。

 いつもおちゃらけたところばかり見ているので忘れがちなのだが、虎徹はこうして見ると整った容姿をしているのだ。

 特にスーツ姿は、どうやってもバーナビーには出せない重ねた年齢分の重みが前面に出てくる。

 

「よく似合ってるぞ、バニー。赤もいいけど、白もいいんじゃないか?」

「そうですか? 貴方はまあまあですよ。さすがに年の功ですね」

「この渋さはおまえさんにゃまだ出せねえよ」

 

 悔しいが、その通りだ。

 なにも言わずそっぽを向いてソファに座ると、すぐにルッツが髪を整えてくれる。

 

「変わった匂いの整髪料ですね。いえ、コロンですか?」

「……入浴剤です」

 

 コームを通されながら言われ、湯船に頭まで浸かったことを思い出して赤面する。ルッツはなにも言わなかったが、目の端で見た虎徹がにやにやしていて、蹴飛ばしてやりたくなった。

 

「俺はこのままでもいいだろ」

「問題ないと思いますよ」

 

 わざとらしく前髪を掻き上げて恰好をつけた虎徹に、マチューがにこにこと同意する。

 昨日の撮影に比べてメイクは簡単に終わり、すぐに撮影に入った。

 

「インタビューのページに載せる写真です。レフ板こっち! お二人とも和やかな表情でお願いしますね」

 

 フラビオの指示で撮った写真は1カット数点ずつだ。

 

「あとはインタビューの間に勝手に取りますから」

「はい」

 

 翡翠のような緑の石のテーブルの向こうに、「よろしくお願いします」とマチューが腰を下ろした。

 童顔の彼ににこにこと話しかけられるとつい警戒心が薄くなり、なるほどインタビュアーに向いていると思わされる。

 

「凄い戦いでしたね。お二人ともようやく怪我から回復されたようで、ボクたちもほっとしています」

「ありがとうございます」

「まあ、俺はもう少し早く退院出来てたんですけどね。ほら、ワイルドタイガーは身体の丈夫さが取り柄なもんで!」

「あはは、頼もしい! サリの印象はどうですか?」

「とても美しいと思います。それに、ゆったりとしていて…まさに天国に一番近い場所といった雰囲気ですね」

 

 パンフレットに書かれたことをほとんどそのまま言っている自覚はあったが、それ以上言いたいことが見つからない。変わった角度からの意見は虎徹に任せて、バーナビーは淡々と求められる答えをセオリー通りに答え続けた。

 窓の向こうに、ラフィリアだけではなくて様々な海鳥の姿が見える。

 いつもなら大勢の観光客が海水浴を楽しむビーチなのに、今日は人の姿がなく、やはり昨日の騒ぎが鮫のせいになっているのだと思って少し重い気分になった。

 少なくとも、自分と虎徹は昨日の被害者が鮫にやられたわけではないとわかっているのだ。

 

(ここではヒーローの肩書きなんて役に立たない。事件の解決はポリスに任せるしかないんだろうな……)

 

 もちろん積極的に関わりたいわけではないが、シュテルンビルトだけではなく、ここでも警察があまり役に立っていないことはわかっている。

 それを考えると何とも言えない感情が自分の中からわいてくるのを、バーナビーは止められなかった。

 ふと、そこで軽く脚を小突かれて意識を現実に戻すと、不思議そうな表情のマチューがバーナビーを見ていて慌てて表情を取り繕う。

 

(しまった…! 仕事中じゃないか)

 

 脚を小突いたのは虎徹だ。怒っているというほどではないが、いつもとは逆の役回りになんとも気恥ずかしい気分になった。

 

「すみません。もう一度お願いします」

「いえいえ、ええと、そう。ヒーローについてです」

 

 マチューが笑顔で言った一言があまりに漠然としていて、バーナビーはつい目を丸くした。

 

「ヒーローについて…?」

「ええ。これからお二人は、どんなヒーローになりたいですか?」

 

 無邪気な質問だ。だが、バーナビーには答えられなかった。

 

(両親の敵を取れるだけの力のあるヒーローに……)

 

 それは、もう叶ってしまった。

 では、どんなヒーローが自分の理想なのか。

 膝の上で無意識に組んだ手が、大きな手に包まれた。

 暖かくて硬い手のひらは、虎徹のものだ。

 

「その質問にはよく答えてきましたが、俺は今でも同じですね。あのレジェンドのようなヒーローになること! 人の命だけじゃなくて、人の心も救えるような…そんなヒーローを、常に目指していたいです」

「……貴方の場合は、それに付け加えて建物も守る必要があると思いますけどね」

「うるせえ! わかってるっつーの!」

 

 まるで、「大丈夫だ」と言わんばかりに、軽く握ってとんとんと叩かれた手が気恥ずかしくてぼそりと突っ込むと、虎徹がわざとらしくふくれっ面でそっぽを向いた。

 次はバーナビーが答える番だ。

 

「僕も…そうですね。ヒーローはヒーローらしく、皆さんが願う姿で…ありたいと思います」

 

 父親と同じ名前を晒して、顔を出して、ポイントを稼いで、注目を集めて両親を手に掛けた犯人の目を引くという目的ももうない。

 だから視線を伏せてそう答えると、マチューはしばらく沈黙し、レコーダーを切りながら頷いた。

 

「なるほど。ありがとうございました」

「いえ…あまり気の利いたことが言えなくてすみません。今朝も僕のせいで遅くなってしまって」

「とんでもない! こちらこそ、昨日は本当にご迷惑をおかけしました」

「そうですよ。いやあ、まさかあんな事故に巻き込まれるとは思いもしなくて。お二人とも、せっかくサリに来たのにビーチでもう泳げないのは残念ですね。ですが、ここには良いプールもありますから」

「ええ、もちろん俺たちもそのつもりですよ。なあ、バニー」

「はい。僕はのんびり読書でもするつもりですけど、この分じゃ引っ張り回されそうです」

 

 わざとらしく背中を抱いてウインクしてくる虎徹に苦笑して頷くと、フラビオとマチューも笑って立ち上がった。

 

「では、今日は本当にありがとうございました。衣装はどうぞその辺りに脱いで置いておいてください。すぐにルッツが片付けますから」

「お二人とも、楽しい休暇をお過ごしくださいね!」

 

 これからシュテルンビルトに帰るという二人に挨拶をして、バーナビーと虎徹も着替える。

 もしかしたら虎徹になにか言われるかと思ったがそれもなく、却って落ち着かない気分になった。

 

「……お疲れさまでした」

「ありがとう。どうかお気をつけて」

「着心地良かったぜ。またな」

 

 無口なルッツが見送ってくれて部屋を出る。

 そのままレストランホールの方へ行くのかと思うと、虎徹はハンチングを被ってすぐにエレベータに乗った。

 

「あの…バイソンさんたちが来ているのではなかったのですか?」

「おう、来てるぜ。レストランで飯食って、今は下だと」

「下?」

 

 意味がわからなくて首を傾げると、虎徹が取り出した携帯の画面を見せてくる。バイソンの名前で、「飯が終わった。玄関前ロビーで待っている」という簡潔な文章があった。

 

「観光のため…ってわけじゃなさそうですね」

「そんなことはねえよ。バニーはどっか見たいところでもあるか?」

「特には。この休みの間に推理小説でも読もうかと思っていたぐらいですから」

「若い癖につまんねえこと言うなよ。本島はこの通りだが、ほかにも色んな島があるんだぜ?」

「どんな島なんですか?」

 

 素朴に疑問を感じて訊き返すと、虎徹は笑って教えてくれた。

 

「ファミリー専用のとことか、ファッション関係充実のとことか、遊園地とか、劇場が集まってるとことか、あとはカジノだの合法で火遊びできる島とかな?」

「ああ、そう言えば本島のほかに小さな島が八つあるんでしたね」

「そうそう。一つはほら、あの空港のあるとこだろ、客船もあそこの港に入るから、まあサリの表玄関だな」

「いろいろあるのはわかりましたけど、どれも興味ありませんよ」

 

 扉が開いたエレベータから先に降りて素っ気なく言ったが、虎徹は気にした様子もなく続ける。

 

「それは遊んでみてからのセリフだぜ」

「そうですか。なら、オジサンだけでどうぞ」

「……バディのくせに冷たいヤツだな」

「今さらです」

 

 拗ねたようにぼやく虎徹を無視して広いロビーを突っ切る。さすがにサインや写真をねだりに来るような不作法者はいないが、相変わらず向けられる視線の多さが今日はどうも落ち着かなくて、バーナビーは苦労して表情を取り繕っている自覚があった。

 

「おい、こっちだ」

 

 急ぎ足で正面玄関に向かうと、丁度ドアのそばに立っていた大柄な男が逞しい手を挙げる。アントニオだ。

 横からしなだれかかっていた、色っぽい南国風の女性を軽くあしらって壁に寄りかかっていたアントニオが身を起こす。

 

「悪りィ、待たせたな」

「いや。そうでもねえさ。よう、バーナビー。すっかり顔色が良くなったじゃねえか」

「はい。あの、いいのですか?」

「あ? ……ああ、しつこかったから丁度良かったぐらいだ。行こうぜ」

 

 女性の方がやけに親しげだったので知り合いなのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

 虎徹にも促すように笑って軽く背中を叩かれ、バーナビーは憎々しげにアントニオの背中を睨む女性を振り返りながら玄関ホールを出た。

 

「こいつ、昔っから女には純情(ウブ)なとこがあってよ」

「うるせえ。紛らわしい言い方すんな。それじゃ俺が男にはだらしねえみたいだろがッ」

「そうは言ってねえだろ。ただ、ああいうタチの女は、苦手なんだよな」

「自分を大事にしねえのは、男でも女でも良くねえ。それだけだ」

「お人好しめ」

 

 言い合いをしながらも、アントニオの厚い筋肉に覆われた広い背中を叩く虎徹の仕草は優しい。

 そういえば、この二人は親友なのだ。自分にはいたことのないそんな概念でしかない存在が、なんだか不思議なもののようにバーナビーの目に映った。

 

「ほら、こっちだ」

「レンタカーか? あれ」

 

 原色の花が咲き乱れた丸い大きな花壇を迂回した正門の外に、コンパクトな赤いスポーツカーが停まっている。

 ハンドルを握っているのはネイサンだ。後部座席に乗っていたキースがこちらに気づき、手を振っていた。

 

「いや、持ち込みだ。おまえらは後ろに乗れ。俺が後ろに乗ったら三人は座れねえ」

「はいよ」

「ああもう、図体の大きな男ばかりがすし詰めって、幸せなんだかうっとうしいんだかわかんないわね!」

「こういうのはうっとうしいの方だろ! だッ、いっそ俺が天井に乗った方が良かったか!?」

「交通規則に反しますよ、オジサン」

「能力を使っても良いなら、私は空から追いかけられるんだがなあ」

 

 車内はシートから細かな装飾までネイサンの趣味が隅々まで行き届いた作りだが、堪能するような余裕はなかった。

 文字通りすし詰め状態で大通りを抜け、バーナビーたちの泊まるコテージからは真逆の方向に走っていく。

 

「しかし、よく車なんか持ち込めたな。やっぱアレか? 社長のコネってヤツか?」

「なに言ってんの。そんな難しい話じゃないわよ。一応こっちに別荘を持ってるからこっちで車を買っただけ」

「別荘? サリに別荘って、凄いんじゃないか?」

「ええ、凄いわよ。見直したでしょ?」

 

 バックミラー越しに、ネイサンが凄みのある笑みを虎徹に向けた。

 

「ホテルじゃなくて、オマエの別荘ね」

「ええ。そういう警戒はしておくものよ」

 

 二人のやり取りを見て、ふとバーナビーも思い出す。以前、マーベリックからサリの話を聞いたことがあったのだ。

 

「あの…マーベリックさんも別荘を持っているそうですよ。頼めば貸してくれると思いますけど」

 

 この話を聞いたのはバーナビーがヒーローになる前だが、手放したという話はまだ聞いていないし、マーベリックなら恐らく駄目だとは言わないだろう。

 そう思って言ってみたのだが、ネイサンは少し考えて、「やめておくわ」と首を横に振った。

 

「アタシたちは会社のお金で来てるけど、今はヒーローじゃないのよ。なにも知らないアンタの会社の社長を巻き込むみたいで気が引けるしね」

「巻き込む…って、一体なにをするつもりなんですか?」

「なにもしねぇよ。ただまあ、関わった以上、なにがどうなってんのかは知りたいってとこだ。なあ、虎徹」

「私も同じだ」

「ああ。……ジャンナから詫びと、報告があった。被害者は第七島のスタッフで、俺より一つ下、……八歳になる息子がいるそうだ」

 

 マスクを剥がし、ハンチングを押さえて表情を隠した虎徹の声は低い。

 深い場所に刃物を忍ばせたような虎徹の声を聞いて、バーナビーは「ああ」と嘆息した。

 

(……仕方がない)

 

 隣り合って密着した虎徹の体温が伝わって来る。平熱が高い方ではないバーナビーからすれば、微熱でもあるのかと思うような熱さだ。

 家族を喪う辛さは、「誰よりも」と言うと、大げさかも知れない。けれど、その耐えられない哀しみを、バーナビーも痛いほどわかっている。

 虎徹も同じなのだ。一人ではない。娘やほかの家族はいる。だが、哀しみは同じ深さであるはずだから。

 黙って頷いたバーナビーの肩を、ごそごそと身動きし辛そうに動いた虎徹の腕が抱いた。

 

「ジャンナが、おまえにも謝っておいてくれとさ。バカンスが台無しになって申し訳ない。あとは自分たち保安官の仕事だって」

「やっぱりあのひとも保安官…だったんですね」

「いかにもだろ? サリの保安官は元傭兵だの軍人だの、そういう連中が多いんだと。あの姉ちゃんだって多分そうだぜ。オマエ、社会勉強しなくて良かったかもな?」

「どういう意味ですか、まったく……」

「オトコになる前にオネエチャンになっちまってたかもって意味に決まってんだろ!」

「うォい! それは当てつけかァ!? ああ゛ッ!?」

 

 下から覗き込んで下品に笑った虎徹にネイサンがドスの効いた突っ込みを入れ、アントニオは笑ったが、キースは「ケンカはいけない!」と二人を代わる代わる見て宥めにかかった。

 

「…………」

 

 べつに、茶化さなくてもいいものを。

 なんだかなにも言えなくなって黙り込んでいると、今度はまたなにを心配しているのか、虎徹がへらっと笑って続ける。

 

「おーい、まさか本気でおまえが童貞(チェリー)だなんてからかってないぜ?」

「確かにそこはからかうとこじゃねえなあ」

「うんうん、その通りだ」

「うっふっふ、アタシもそう思うわねえ」

 

 アントニオとキースも相づちを打ち、ネイサンはころりと機嫌を直して鼻歌を歌っている。

 窓から見えるパームと、鮮やかな花、それから大きな建物が急に色あせたような気がして、バーナビーは自分を見つめる琥珀色の目に少しずつ心配の色を混ぜ始めた虎徹を見つめ返す。

 だが、なにも言わないバーナビーに焦れることはなく、やがて姿勢を戻して笑った虎徹が抱いたままの肩を強く引き寄せて言ったのだった。

 

「大丈夫だ。遺された子には、母親がいるんだとよ」

「それは……」

 

 良かったですね、とは言えない。

 急にバーナビーは強烈な自己嫌悪に襲われた。

 昨日、被害者の惨い有様を見た瞬間、生理的な嫌悪感に襲われて醜態を晒してしまったが、そのことではない。

 彼は確かに生きていて、誰かの父親であり、誰かの友人であり、そして誰かの息子だったのだ。

 救いの手は、虎徹がさしのべてくれた。惨い姿を見て怖じ気づいた自分とは違って、虎徹はあくまでも生きた人を助ける時と同じ、労りに満ちた手で、もう動かない彼の身体を支えていた。

 時間は戻らない。

 だから自分はそれを手伝うことも、謝ることももうできないのだ。

 遺体は見慣れていると思った。解剖実習だって脱落する生徒が多い中、バーナビーは一度も目をそらさずに最後までしっかりと見届けられた。

 だが、現場ではなんの役にも立たなかった。

 ―――泣きたい。

 急にこみ上げた衝動に驚いて両手を握りしめたら、「よいしょ」とまた苦労して腕を動かした虎徹の手が、今度は頭に触れた。

 がしがしと、まるで犬にでもするように撫でられて、滲みかけていた視界で虎徹の横顔を見る。

 

「大丈夫だって、バニー。おまえは優しいからなあ」

(お人好しさ加減では、貴方に負けますよ)

 

 口にはできずに心の中で言い返したら、いよいよ涙が出そうになって慌てて瞬きで誤魔化す。

 

「タイガー、犬じゃなくてウサギなら、もう少し優しく撫でてあげなさいよ」

「あ? そりゃそうか。ははッ」

「……どっちもごめんです」

 

 なんとかつっけんどんにそれだけ言うと、バーナビーは小さく震えるような息をつき、口にはしないまでも自分の様子を注意深く見守る年長者の中で唇を引き結んだ。

 自分はもうティーンエイジャーの子どもではない。ヒーローとしては新参者であっても、一人前の大人なのだ。

 間違ってもここで泣くことはできない。

 

「ふふ、どっちも可愛らしいこと。さあ、着いたわよ」

 

 車はいつの間にか観光地を抜け、別荘が点在する郊外に出ていた。ネイサンが車を停めたのは、少し海から離れた小高い場所にある小さな白とキャメルの木造の平屋建ての前だ。

 いつも派手なネイサンの趣味にしては、ずいぶんと落ち着いた雰囲気で、地味なぐらいだった。

 

「ほお、こぢんまりとしてるが、居心地が良さそうだな」

「ええ。ここには魂の洗濯に来るために買ったからね」

 

 車を降りてまず感想を述べたのはアントニオだ。

 管理人がいるのか、庭の手入れの行き届いた小さな花壇に、ラフィリアがくつろいでいる。

 

「うーん、可愛いなあ。そして可愛らしい! 遊びに来てくれたんだね」

「そうよ。アタシが来た時だけね」

「そう言えば、サリのスタッフはみんな一羽、仲の良いラフィリアがいるとか。やっぱり人懐こいんでしょうね」

「どうかしらね。でも、人の手からは絶対に餌を食べないんですってよ。警戒心の強さは大したものよ」

「……ちょっとわかる気がします」

 

 白い大きな花の中に佇むラフィリアの姿は優しげだが、青い視線は凛としている。

 野生動物はみんなこんな風なのだろうかと思いながら呟くと、なぜか四人とも笑ってバーナビーは首を傾げた。

 

「なにか可笑しかったですか?」

「いや、おまえの場合はそいつらとなにか通じるものがあっても不思議じゃねえなと思っただけだ」

「はあ」

 

 よくわからないまま話を切られて、ネイサンに手招かれるまま数段の階段を上がる。見た目は木造だが、裏は分厚い鋼鉄製の扉を開けて中に入ると、さわやかな緑の匂いを感じた。

 

「あれ? ファイヤーエンブレム、昨夜の花束はどうしたんだよ?」

「あれはホテルの部屋よ。言ったでしょ? ここにはリラックスしに来るの。キラキラしたものはいらないわ」

「なるほど。ここは落ち着いていて、居心地が良い。私はこういう部屋が好きだな」

「うふふ、ありがと。スカイハイのそういうところ、アタシも好きよ」

 

 どんな時も正直で真心が伝わるキースのあとに同じことを言うのは気が引けて、バーナビーはただ黙ってネイサンが招き入れてくれた部屋を見た。

 玄関には大きな観葉植物の鉢があり、まず最初に通されたリビングは思ったよりも天井が高く、磨いただけの自然な風合いの木製のテーブルもソファも、どこかしら丸くて尖っていない。

 床はシックな艶塗りのフローリングで、ざっくりと編んだ暖色系の大きな幾何学模様の絨毯がいかにもサリの雰囲気に合っていた。

 

「さあ、好きに座ってちょうだい。お茶はサービスしてあげるわ。ハーブティしかないけどね。ハイビスカスとカモミール、どっちがいい?」

「よくわからん。任せる」

「俺もわかんねえから任せる」

「私はハイビスカスかな? 飲んだことがないから」

「じゃあ、僕もハイビスカスで」

 

 意見が二つに分かれ、面倒くさいという理由で出されたのはハイビスカスティーだ。

 虎徹はまず赤い液体に目を丸くし、アントニオは思いがけなかったらしい酸味に閉口し、キースは少し沈黙したあと、身体に良さそうだという理由で思案深そうな表情で飲んでいた。

 

「おじさん…ハイビスカスティーを知らなかったんですか?」

「知ってると思うか?」

「蜂蜜を入れると少しは飲みやすいですよ。ビタミンが豊富で、肌には良いそうですけど」

「あー…納得だ」

「さーて、一息ついたところで、良いかしら?」

 

 真っ先に飲み干して透明なガラスのカップを置いたネイサンが立ち上がろうとしたアントニオの肩を押さえつけて無理矢理隣に移って座り、いつものにこやかな表情で一同を見回す。

 

「まず、昨日の流れね。タイガーとバーナビーがビーチで例の被害者を見つけてポリスと保安部に通報、運悪く居合わせちゃったアタシとバイソンは巻き込まれて撮影クルーの介抱と、アタシは検死の手伝いをさせられたわ。で、被害者の身元がわかったのは今朝の、あの女保安官からの連絡ね」

「私はそんな事件が起こっていたとは露知らず、ただ君たちがサリに来ていると知って遊びに来た。そして待てど暮らせど誰も帰ってこなくて、コテージの床下で眠ってしまったわけだな」

「被害者を襲ったものについては、なにかわかったのですか?」

 

 虎徹が不味そうにハイビスカスティーをちびちび飲む横でさっさと飲み干してネイサンを見ると、ふうと色っぽい息をついて懐からなにかを取り出した。

 ネイサンがテーブルの上に広げた白い紙は、黒いペンで書かれた地図だ。

 聞くまでもなくそれがこの島の地図であることに気がついて、バーナビーは訝しげな視線をネイサンに向ける。

 

「どういうことですか? まさかわざわざ手書きで観光マップを作ったわけではありませんよね?」

「当たり前だろ! ンなもんそこらで買えるじゃねえか」

 

 虎徹が呆れたように突っ込むが、バーナビーもそれぐらいのことはわかって言っている。

 ネイサンはお見通しなのだろう。パールピンクの唇に笑みを浮かべて答えた。

 

「もちろんよ。昨日、あんたたちと別れて書いてみたのよ。まあ、アタシがわかる範囲でしかないんだけど」

「中央が本島で、回りは……八つの島? この黒い二つの島は?」

「人工島よ。いい? アタシたちが降りたのがこの玄関口に当たる第一島ね、で、右から順番にファミリー御用達、ショッピングモール、遊園地、劇場と映画館、それからカジノをはじめとした大人のための島……」

「七つ目は?」

「秘密の島よ。表向きにはサリの食材や販売物を作る工場地帯ということになってるけど、ここで手に入らないものはないと言われているわ。八つ目は、発電所ね。ここの太陽発電所でサリ全島のエネルギーを賄ってるそうよ」

「まあ、手に入らないものはないってのは、わかりやすいところでは麻薬、武器、そういうものもあるか」

 

 脚を組み替えたネイサンの言葉を継ぐ形で、膝を撫でられながらアントニオが続ける。

 

「私も噂で聞いたことがある。取引を禁じられている動物もいるみたいだね」

「……中には二足歩行のも入ってるそうだぜ」

 

 キースの明るい声と打って変わって、低い声で付け加えたのは虎徹だった。

 バーナビーもそこまで鈍くはない。虎徹の言葉の意味に気がつき、鼓動が速くなった。

 

「まさか、人身売買?」

「パーツ別でも取り扱ってる可能性があるわよ」

「検死した遺体から、不自然に消えてたものがあったからな」

「え?」

「魚かなにかが食い荒らした形跡が多かったが、どうもしっくりと来ねえ形で内臓の一部がなくなってたんだよ。ご丁寧に鮫の口の形でバックリやられていたが、俺の知ってるころとやり方が変わってなけりゃ、あの血管の剥がし方は臓器移植のためのものだ」

「あの女保安官も気づいてるかも知れないけど、サリ側だしね。アタシもなにも言わなかった。ただわかんないのは、今までこんな騒動が起こってないってことは、今回のアレがイレギュラーだっただろうってことね」

「網に囲われた中に鮫に食いちぎられてるのを装った死体を捨てるってのは、どう考えても不自然だ。相手がどんな連中なのかは知らねえが、内部でなにかがあったってことだろうな。まあ、俺には想像もつかねえけどよ」

 

 ネイサンと虎徹の説明に、アントニオとキースが顔を見合わせる。先に口を開いたのはキースだった。

 

「とても…その、心苦しいことを言ってしまうが、仲間割れとは考えられないだろうか? 幼い子を持つ被害者の方が悪事に荷担していたなんて、ないと思いたいけれど」

 

 キースにしては珍しい意見だ。だが、彼もヒーローとして決して短くはない年数を戦っている。

 その間に多くの悲しい現実を見てきたからこその意見だった。

 

「そこまではわからないわ。残念だけどね」

「楽園を装った島に悪の組織か。……出来すぎて俺たちをハメる罠じゃねえかと勘ぐりたくなるぜ」

 

 ―――悪の組織。

 何気ないアントニオの一言に、バーナビーの中で消えかけていた筈の鬼火が息を吹き返すのがわかった。

 両親を殺した犯人、ジェイクは「ウロボロス」という組織の一員だったのだ。

 もしかしたら。

 その考えがバーナビーの中でふつふつと湧き上がってくる。

 

「この島には、かなりの規模の悪の組織がある。……そういうことなんですね」

「おい、バニー」

 

 自分では押さえたつもりだったが、声にこもった殺気が伝わってしまったのだろう。虎徹が慌てた様子で、いつの間にか膝の上で固く握りしめていたバーナビーの手を掴む。

 虎徹の気遣いは伝わったが、自分を抑えようとする虎徹の手がうっとうしくて堪らなかった。

 振り払おうとしても、虎徹の手は離れない。いっそう強い力で握られて、とっさに隣の虎徹を睨み付けてしまった。

 

「ちょっと、あんたたち、ケンカはやめてよ! ハンサム、聞く気がないならアタシはここで話を止めるわよ?」

 

 虎徹も向きなおって正面から視線がぶつかり、口を開こうとしたところでネイサンの仲裁が入る。

 それで頭に上っていた血が少し落ち着き、バーナビーはゆっくりと手に込めていた力を抜いて浅く息をつく。

 

「……すみません。続けてください」

 

 虎徹の手からも少し力が抜けたが、バーナビーの手からは離れなかった。

 改めて文句を言おうと思ったのだが、そこで自分が過去に何度か虎徹の前で暴走のような状態になったことを思い出し、バツが悪くなってやめる。

 

「わかったなら良いわ。ホテルからここに場所を移したのも、念のためよ。正直、政府管轄のこの島の捜査なんてどこにスパイがもぐりこんでいるかわからないでしょ? あの鳥だって疑って調べたことがあるぐらいだし」

「でも、危険なのではないか? 私たちはヒーローだ。会社からの命令がなくても、そこに助けを望む人がいるなら私は火の中であっても飛び込む。それは君たちも変わらないだろう。だが、ここは『サリ』だ。同じヒーローであっても、君たちに危険が及ぶのは避けたい。もちろん、悪を見逃すことはできないから、ポリスと連携を取れれば」

「島がまるごと政府管轄なんです。警察自体も政府の管理下にある組織ですし、信用できるのか不安です」

「バーナビーの言う通りだ」

 

 キースの言葉にバーナビーが反論すると、アントニオも同意する。虎徹はなにも言わないが、握られた手から伝わって来る感覚が同じ気持ちだとバーナビーに教えていた。

 

「でも、一つ伺っても良いですか?」

「なにかしら?」

 

 虎徹の手に勇気を貰ったとは思いたくないが、冷静になった思考が動き出し、バーナビーは泰然とした様子で自分たちを見つめるネイサンに尋ねる。

 

「貴方はどうしてそんなに詳しいのですか? この地図の一部は、一般人が立ち入り禁止のところまで記されている。憶測ではなくそこを見てきた人にしか書けないでしょう?」

「ええ。そうね。アタシはあんたたちが立ち入れない場所を見たことがあるわ」

 

 不思議に思ったのは自分とキースだけだったようで、アントニオと虎徹は落ち着いたままだ。

 ネイサンは笑って教えてくれた。

 

「答えは簡単よ。ハンサム、アタシの肩書きを覚えていて?」

「ヘリオスエナジーの…社長?」

「そうよ。シュテルンビルトの七つの大企業の一つ。この島の成り立ちには、その七大企業も加わっているの。言わばアタシもスポンサーの一人ってところかしら。もっとも、アタシはよそと違って新参者だから、立ち入ることができる部分は限られているけどね。……それでも、俗に言うアンダーグラウンドには、それなりに顔は利いてよ?」

 

 緊張して聞いたのに答えは単純で、バーナビーは無意識に力がこもっていた身体からするりと細い芯が引き抜かれたような気がした。

 

「あ…ああ、はい。わかりました」

「うふふ、相変わらずねえ。仲間でも容赦なく疑って掛かるんだから」

 

 隣の虎徹も吹き出し、キースはおろおろと見守り、アントニオには呆れたようにため息をつかれて、バーナビーは深く俯いて赤面する。

 だが、ネイサンは怒らなかった。

 ころころといかにも楽しそうに笑って立ち上がり、大きいが繊細な形の手をバーナビーの頭に置いて言ってくれたのだ。

 

「あんたのそういうところ、アタシは好きよ。仲間だからって目をそらさず、疑うべき時は疑う心は弱いからじゃないわ。もちろん、疑われた方は良い気分じゃないし、明らかに勘違いで疑いを掛けたりしたらただのお間抜けちゃんだけどね?」

「………はい」

 

 虎徹に言われるとつい反発したくなるようなことでも、ネイサンの口から出るとなぜか素直に聞く気になってしまう。

 自分でもそれが不思議だったが、バーナビーはネイサンの手を払おうとせずにおとなしく俯いていた。

 そんなバーナビーに満足したようにネイサンは笑って頷き、もう一度腰を下ろす。

 

「ほほほ、素直だこと! それじゃもう一つ、ヘリオスエナジーの社長として政界に顔を出してわかったことも一つ教えるわね。政府は今、二つに割れてるの。単純に言えば、保守派と推進派の戦いね。大掛かりな戦争が終ったこの三十年余り、根っこから腐り始めたものがそろそろ幹まで来たころよ。名のある政治家の中には、アタシたちの考えから見て敵もいれば味方もいる。まあ清廉潔白な政治家なんてきっとどこの国にもいやしないだろうけど、目に余るような連中がうじゃうじゃしてるってことは覚えておいてちょうだいね」

「おいおい、まさか政府を敵に回してなにかやらかそうなんて考えてないだろうな!?」

 

 目を剥いたアントニオが一瞬見たのは、黙って話を聞いている虎徹だ。キースも気遣わしげに虎徹の横顔を見る。

 虎徹には守るべき家族がいるのだ。それはバーナビーも十分承知していたから、慌てて口を開こうとする。

 だが、ネイサンの方が早かった。

 

「ちょっと、早とちりしないで! そんな恐ろしいこと考えてないわよ。大体、それはアタシたちの仕事じゃないでしょ? 今回解決したいのは、あくまでも巻き込まれたこの事件だけ! だってこのまま帰ったってアタシたち、スッキリできる? ブルーローズたちは学校や勉強があって来られなかったんだから、きっとアタシたちのお土産話を楽しみに待ってるのよ?」

「土産話だけじゃなくて、土産そのものも楽しみにしてるだろうけどな」

「まあ、もうすぐ学校も冬の休みに入るからね。丁度アタシたちと入れ替わりにこっちに来るでしょうし、そうなったらもっと心配だわ。なにかあってあの子たちだけで無邪気に首を突っ込ませてご覧なさいよ。考えたくもないわよ、アタシは!」

 

 そう言って身震いするように自分を抱きしめたネイサンを、誰も笑わなかった。もちろんバーナビーもだ。

 ヒーローは年齢や性別関係無く対等な関係ではあるが、それでも年少者には違いない。

 バーナビー自身、ここにはいないあの強くて優しい少女たちと、自分より若いが先輩である少年のことを思うと同じ気持ちだった。

 

「そうですね。おっしゃる通りだと思います」

 

 ネイサンに頷いて、隣の虎徹に視線でもう落ち着いたことを伝えると、虎徹の口元にやっと笑みが戻り、もう一度強く握られてから大きな手が離れる。

 お節介には違いないが、こんな風に自分に伸ばされる虎徹の手は、決して不快なものではないと素直に思って、バーナビーはそんな自分に苦笑した。

 会社から押しつけられたバディだったのに、これが今の自分たちの距離なのだと納得する。

 

「それで、まずはどうするんだい? 私が飛べれば良いけど、サリでは力を使った途端に捕まるか、国外退去だろう? どう調べたところで君たちに伝える前に私が捕まっては、元も子もない」

「おいおい、おまえがヒーローをクビになるような真似、俺たちがさせるワケねえだろ」

「そうだぜ、スカイハイ! ファイヤーエンブレムのことだ。どうせ考えがあるんだろ?」

 

 生真面目なキースにアントニオが慌てて首を横に振り、虎徹は冷めたハイビスカスティーをようやく飲み干してハンチングを被り直す。

 バーナビーも向きなおると、ネイサンは手入れの行き届いた指先を唇に当てて少し考え、にっこり笑って立ち上がった。

 

「とりあえず、観光しましょうか?」

「は?」

「なんだ、そりゃ!?」

「観光…いや、もちろん私も観光はしたかったけれども」

 

 真っ先にバーナビーがぽかんとして、次いでアントニオとキースも目を丸くする。動じてないのは虎徹だけだった。

 

「まずどっからだ?」

「神殿! ――といっても、ここのは本当に歴史的に価値のある建物じゃなくて、島の雰囲気に合わせて神殿風の作りにしただけの管理施設だけどね。それでもここでは一番高い場所にある建物だから、最上階まで上がれば本島は見渡せるわよ。毎日午後二時に太陽を崇めるって意味の民族風の儀式も見られるらしいわ。まあこれは華やかでキレイなだけの観光客用のサービスなんだけどね」

「神殿の中に怪しいところがないかってことか?」

「そこまで考えてないわよ。大体、アタシは全部見て知ってるし。まずは島の全貌を見渡せばいいと思っただけ。それに、アンタの昔の馴染みにも会いたいけど、残念ながら今はいないでしょ?」

 

 ネイサンが肩をすくめて言うと、アントニオは首を傾げながら「まあ…」と言葉を濁す。

 

「あいつ、明日まで本島に帰らねえそうだからな」

「アタシも見たことないエネルギー管理施設に勤めてるんだもの。話を聞きたかったんだけどねえ」

「あの、それならほかの島に渡るというのはいかがですか? 遊泳は禁止になっても、連絡船は運航してますよね?」

「ええ、じゃあ次はどこに行くか考えておいてね」

 

 ネイサンは笑って言うが、さっきのような話を聞くと、もうどこもかしこも怪しく思えてしまう。

 ずれてもいないメガネを押し上げて考えていると、虎徹が立ち上がった。

 わざわざ手を差し伸べているのは、「行こう」の意味だ。

 いつもなら無視するか払いのけるところだが、なんとなく今日はまんざらでもない気分で固い手を掴んで立ち上がる。

 

「虎徹さん」

「ん?」

 

 ぞろぞろとリビングを出ながら呼ぶと、振り向かずに返事が返った。

 

「被害者の方は…もうご家族の元に?」

 

 掴んだままの手が握り返された。少し痛いほどだ。

 

「司法解剖に回されることになったから、まだ当分無理だな。司法解剖はこの島じゃできねえらしい。凍結処理されて、恐らく軍かポリスの施設に運ばれるんだろ」

「そうですか。早く帰れたら良いですね」

「そうだな」

 

 相づちを打った虎徹がいきなり立ち止まってぐいと腕を引き、バランスを崩したバーナビーが虎徹の背中にぶつかりかけて慌てて立ち止まる。

 何事かと鍛えられた背中を見ていると、今度はいきなり体勢を変えて肩を抱かれてぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられた。

 

「よし、行くか!」

「なにを一人で納得してるんですか!? ちょっと、やめてくださいよ!」

 

 慣れたつもりでも、虎徹のこういうところにはついて行けない。

 朗らかに笑う虎徹からなんとか離れて、バーナビーは呆れた顔で自分たちを待つネイサンたちの元に急いだ。

 

「遊んでないで、行くわよ!」

「僕のせいじゃありませんよ。オジサンに言ってください」

「さあ、バーナビー君、乗りたまえ」

 

 にこやかにドアを開けて待ってくれているキースに礼を言ってもう一度後部座席に乗り込み、また窮屈な思いをしながら走る。

 隣の虎徹も今度はちょっかいを掛ける気がないようで、マスクを外したまま時々置き場所に困るように長い脚をもぞもぞと動かしていた。

 神殿には、三十分ほど走って着いた。

 本島の観光施設の目玉とも言える神殿は本島の中心にあり、道もわかりやすく、どこにでも看板がある。

 車をVIP用のパーキングに停めて降りると、エキゾチックな雰囲気の巨大な神殿が圧倒的な存在感を持って目の前にそびえ立っていた。

 実際間近で見上げると、車から見るよりもはるかに迫力がある。

 このサリの中でも特に力を入れて造ったという話は本当らしいと、あまりこういったものに興味のないバーナビーでも見とれてしまった。

 

「ハンサム、行くわよ」

 

 ネイサンに呼ばれて、慌てて観光客の行き交う白い石畳を追いかける。

 広大な敷地を囲む壁も白い石で、同じく白い床は道のように一部が灰色の石になっていた。

 中庭も広い。端には見事な花壇が連なり、展望台を兼ねた高い塔を従えるような堂々とした神殿の造りはまるでモスクのような様式で、磨かれたように輝く青いタイルと黄金が装飾としてふんだんに使われ、目がくらむほどの豪華な雰囲気を醸していた。

 

「すごいですね」

「でしょう? ここは吹き抜けになってるの。上のステンドグラスは、何十人もの職人が何年もかかって仕上げたそうよ」

 

 開けられたままの巨大な両開きの扉をくぐると、そこは広々とした教会になっていた。壮麗な十字架と磨き上げたパイプオルガンが荘厳な雰囲気を醸して奥に鎮座し、一面がステンドグラスになった天井から落ちる色とりどりの光は、まるでそこここに宝石が転がっているようだ。

 壁には等間隔で贅を尽くした作りの燭台が並び、夜には一斉に火が灯されて、それは夢のように美しいのだと近くにいた観光客の一人が話しているのが聞こえて、バーナビーも釣られて壁に備え付けられた銀細工の燭台を見上げた。

 

「ここで結婚式もできるんだってよ。それに、この島で生活してる連中もいるからな。教会は必要だろ」

「そりゃそうだ」

 

 虎徹も辺りを見回して言うと、アントニオもしみじみ頷く。バーナビーも同じ気持で、もう一度天井の宗教画を形取った美しいステンドグラスを見上げた。

 

「はいはい、見とれるのはそれぐらいにして上に行くわよ」

 

 白い神官風の衣装を着た者がサリのスタッフらしい。にこやかに観光客の質問にあれこれ答える様子を横目に、ネイサンに先導されるまま大きなエレベータに乗り込む。

 乗り合わせた三組は、いずれも新婚らしかった。それぞれの仲の良い様子に、なんとなく邪魔をしているような居心地の悪い思いをしながら壁の大理石の模様を見ているうちに、塔の最上階に着く。

 降りてみると丸い部屋は予想よりもかなり広かった。

 

「……この本島で一番高い建物というのは伊達ではないようですね」

「そうだな。あとはほかの建物が低いってのもあるかも知れん」

「それは雲の位置を見るとよくわかるよ。私がいつも飛ぶ高度はもう少し高いしね」

 

 バーナビーとアントニオのやり取りにキースがにこにこと加わり、少年のような目をして眼前に広がる空を見つめる。

 一面ガラス張りになった壁の向こうに見える風景は、ホテルよりもはるかに遠くまで見渡せた。

 どこを向いてもどこまでも続く空と海が見える。レンガ色の小道が蜘蛛の巣のように走る白い町並み、絶妙の配置で揺れるパーム、そしてそれらの合間にハイビスカスをはじめとした鮮やかな花々が群生している様が美しい。

 遠くに白い波をまといつかせて霞む小島を数えながら、バーナビーはしばらく海を眺めていた。

 居合わせた観光客は三十人程度だ。もう少し多いかと思ったが、今日は有名なマジシャンが来ているそうで、劇場や映画の施設が充実している小島に人気が集まっているらしい。

 バーナビーはパンフレットで見た地図と目の前の風景を重ねながら、思い出せるだけのめぼしい建物を記憶の中にマークしていった。

 

「バニー、なんか食うか?」

「え?」

「ほら、あっちに売店があるんだよ」

 

 しかし、集中が続かない。いつの間にか壁のガラスに映る自分の顔をぼんやりと見ていると、虎徹に声を掛けられた。

 ハンチングを押さえる虎徹が指した方角に見えたのは、可愛らしい華奢なデザインのワゴンを使った売店だった。

 生ジュースをはじめジェラート、大きなソフトクッキー、手頃なアクセサリをいろいろと売っている。

 

「あそこのジェラートは評判が良いらしいぜ? さっきファイヤーエンブレムも言ってた」

「僕は結構です。暑い場所であまり冷たいものを食べるのは良くないそうですから。貴方も冷たいビールは控えた方が良いですよ」

「うッ、ヤなこと言うね、バニーちゃんは」

「こんなの、自己管理のうちにも入りませんよ。オジサン」

 

 また気を遣われている。

 それを察して敢えて冷たく答えたが、虎徹は相変わらずの表情で苦笑して「せっかくおじさんが奢ってやろうと思ったのに」と肩をすくめた。

 

「僕はいいですから、お嬢さんになにか買ってあげたらどうですか? アクセサリも取り扱ってるみたいですし」

「ピアスやネックレスかあ? まだ早いだろ。まだ十歳だぜ?」

「女の子の場合は『もう十歳』って言うのよ。ダメなパパね」

 

 大げさに首を横に振る虎徹の後ろから話に加わったのは、ネイサンである。

 長い指で特徴的な髭を生やした虎徹の顎を持ち上げ、逃げ腰になった虎徹に今にも顔がふれそうなほど近づいて続けた。

 

「女の子は男の子よりずっと早く大人になるの。アンタにはわからないかも知れないけど」

「それとこの姿勢とどう関係があるんだよ!?」

「決まってるでしょ? アタシの趣味! なんならアタシが女の凄み、教えてあげましょうか?」

「いいッ、いらねえ! おい、バニー! 相棒なんだから助けろよ!」

「僕は自分に関係のないことには一切関わりたくないので、お断りします」

「冷てえな!」

 

 なにより、虎徹が大きな声で騒ぐものだからさっきから注目を浴びて恥ずかしい。

 さっさと離れて他人のふりをしてやろうと背中を向けたうしろで、ようやく二人が静かになった。

 

「こっから見えるのが第三島…さすがにおまえの言った島は見えねえか」

「そりゃそうでしょ。とりあえずここからどの方角になにがあるかを把握してくれりゃ良いのよ。動く時の指針になるでしょ」

「そらそうだ。で、待ち人は?」

「………アンタ、時々可愛げないわね」

「そんだけの理由でわざわざこんなとこに来るなんて思うかよ。いい加減種明かししろ」

 

 回りに聞こえないようにひそひそと話している内容が気になって、バーナビーは二人に声を掛けようと口を開く。その時だった。

 

「ちょっと、なんなの?」

「下か?」

 

 階下で女性の悲鳴が聞こえて、辺りの観光客が不安げに身を寄せ合う。

 ネイサンと虎徹が顔を見合わせ、キースとアントニオもこちらにやってくる。

 

(……きな臭い?)

 

 階下の声は静まらない。スタッフが慌てて動き出し、不安そうな様子が強くなった観光客に虎徹たちが笑顔で声を掛けているのを見て、バーナビーは階段へ急いだ。

 だが、下に降りる前にうっすらと立ち上ってきた煙に気がつき、ギクリと足を止める。

 

「火事だ!!」

「きゃああああッ」

 

 バーナビーと並んで降りかけていた男が叫び、連れの女性が悲鳴を上げてパニックが広がる。

 バーナビーもこうなる前に動くべきだったと内心で舌打ちする思いだが、もうこうなっては遅い。

 

「こちらです! 皆さん、どうか落ち着いて誘導に…!」

「エレベータは危険だ! いいから避難用の階段へ行け!!」

「大丈夫! 大丈夫だからどうか階段の方へ!」

 

 売店の女性スタッフが懸命に避難用の階段に観光客を誘導するが、パニックになった人々は我先にとエレベータに押しかけ、それをアントニオとキースが懸命に押しとどめていた。

 

「バーナビー!」

 

 自分を除いてもヒーローが四人もいるのだ。ここは任せてとにかく何が起こっているのかを確かめなくてはならない。

 そう考えてだんだん上ってくる煙の量が増え始めた階段を目指した背中に、虎徹の鋭い声が掛かる。

 虎徹が愛称ではなく本名で呼ぶ時は、必ずなんらかの意味があった。

 

「避難客を頼む! 下へ誘導してくれ!」

「ヒーローのあんたになら、安心して任せられるわ!」

 

 騒ぎの中でもはっきりと通る虎徹の声に続いてネイサンが叫び、パニック状態だった観光客の中に、まるで波紋のようにバーナビーの名が広まった。

 どうやらシュテルンビルトを救った英雄、バーナビーの名は、こんなところでも効果があるらしい。

 

「……わかりました。貴方がたもどうか気をつけて。皆さんは僕が誘導します。大丈夫ですから、どうか冷静に、落ち着いて行動してください」

 

 確かにこの役目は素顔を晒して活動している自分にしかできないだろう。

 そう考えて怯える人々の先頭に立つと、バーナビーは社交用の笑顔で一人一人の顔を見渡した。

 シュテルンビルトを救った英雄という肩書きは、最近バーナビー自身の手から離れて一人歩きしてしまっているが、効果があるなら使えば良い。そんな気持だった。

 

「あ…ありがとうございます。あの、私も先導しますので」

「ええ。お願いします。後ろのお二人は、はぐれる人が出ないよう、最後尾をお願いします」

「おう、任せとけ!」

「同じく、任された!」

 

 ほっとした表情の女性のスタッフに続いて、上手い具合に観客の後ろに着いたアントニオとキースに声を掛ける。

 それからさらにその奥で目を合わせて頷く虎徹に頷き返し、外壁に張り付くように作られた避難用の階段を目指す。

 手すりはあるものの頼りなく、気を抜けば間を抜けて落ちてしまいそうな作りで、高いところが平気な者でもここを急いで降りるには勇気が必要だった。

 

「これから外壁の階段を使います! 風が強いので、皆さんどうか気をつけて! 手すりをしっかりと掴んで降りてください!」

「大丈夫ですよ。もしなにかあっても、きっと風が僕たちの味方をしてくれますから」

 

 スタッフは緊張した声で注意を促すが、バーナビーは敢えて笑顔でもう泣き出していた女性の二人連れに声を掛けた。

 それだけで二人とも頬を染めて泣き止む。笑いながらバーナビーが視線を向けた先には、いつものにこやかな表情でしっかりと親指を立てるキースがいた。

 サリでNEXT能力を使うのが御法度なのは百も承知だ。だが、必要となったらキースはためらわず使うだろう。

 

(その時には、僕も使えば良い)

 

 それで後悔はない。

 気持ちを定めて狭い階段を下り、時々下の様子を眺めると、どうやら騒ぎが伝わっているらしく、だんだんと野次馬らしき姿が目立ち始めていた。

 

(こんなに立て続けにいろいろ起こるなんて…一体なにがあったんだ?)

 

 半分を降りたところで非常用の扉の前に立ち、高いところが怖いのだと身動きできなくなった男性の観光客に手を貸してやる。

 だが、二人並んで降りられるようなスペースはない。バーナビーも体力には自信がある方なので肩に担いで降りることも考えたが、こんな状態なのだから両手が塞がるのは避けたくて迷っていると、アントニオが手を伸ばしてくれた。

 

「そういうのは、俺の仕事だろ」

「いいんですか? あの、バイソンさんもあまり顔色がよくないようですが」

「き、気のせいだ。大体おまえみたいなハンサムは、お嬢さんを姫だっこして活躍するって相場が決まってんだよ」

「女性の方が逞しくて、今のところ出番はありませんけどね」

「それは同感だ。私も最近は、女性の逞しさに驚くことが多い」

 

 男性の体格はバーナビーを一回り上回る。腰を抜かして震える男性を軽々と担いだアントニオに続いて、キースは平然とした様子でしみじみ頷いた。

 

「幸い風も荒れてないようです。このまま一気に降りてしまいましょう」

「よし、行こう!」

 

 時々振り返ると、窓などから少しずつ吐き出される煙が増えていくのがわかり、バーナビーははやる気持を抑えるのに苦労した。

 消火設備がどうなっているのか、なにより中にいる二人の様子がわからないのは辛い。

 

(PDAさえ使えたら…!)

 

 今はヒーローとしてここにいるのではないため、会社支給のPDAは身につけていない。

 やっとの思いで上にいた全員を下に避難させてから、バーナビーは唇を噛んでとうとう窓から黒い煙が漏れ始めた辺りを睨んだ。

 

(七階部分…辺りか? ここがサリの管理施設を兼ねてるって聞いたけど、一体何が……)

 

 ネイサンに詳しく聞いておけば良かった。後悔していたところで、ふと妙な視線を感じてバーナビーはゆっくりと辺りの様子を伺った。

 ここにいるのは避難してきた観光客と職員、それから野次馬だ。そこに今は駆けつけた消防隊員の姿もある。

 バーナビーが感じた視線は、そのどれとも違う種類のものだった。

 アントニオはやはり顔色が良くない。キースは職員の数が足りないと聞いて、躊躇わず消防隊員に名乗りで出て、手伝いを申し出ていた。

 もちろん、バーナビーもそこに加わるつもりだったのだが。

 

(―――!)

 

 野次馬の一番後ろに、この光景を昏い目で見る男の姿があった。服装だけ見れば普通の観光客だが、褪せたような灰色の短髪で色の黒い、長身痩躯の男が口元を隠すようにして携帯で誰かと話している。

 あれは犯罪者の目だ。

 バーナビーが男に向かって歩き出す前に視線がぶつかり、男はすぐさま背中を向けて走り出した。

 

「おい、バーナビー!?」

「虎徹さんにはすぐに戻ると伝えてください! ここを頼みます!」

 

 この場にはヒーローが三人いる。明らかに怪しい人物を見つけたとあれば、自分が確保に向かうのは当然の成り行きだ。

 男は迷わず神殿の裏側に向かって走っている。バーナビーはここぞとばかりあちらこちらから掛けられる声を無視して美しい花壇を飛び越え、意外なほど足の速い男の背中を追いかけた。

 

「止まれ!!」

 

 神殿の脇はまるで目隠しのようにサリの固有種である大きくな赤いハイビスカスの群生が咲き乱れ、その中に男が飛び込んでいく。

 こうなるっては花が可哀想などと言ってられない。バーナビーも迷わず飛び込むと、むせかえるような花の匂いに包まれ、バーナビーは眉根を寄せてまとわりつくように咲き乱れる花を掻き分けた。

 

(また…!)

 

 さほど走らないうちに目眩がするが、首を振ってやり過ごし、追いつきかけた男にもう一度声をかけようとしたところで、男が足を止めた。

 

「なんだ、顔色が悪いぜ、ヒーロー?」

「うるさい。僕の正体がわかっているなら、話が早い。なぜ逃げた?」

「わかっていて追いかけてきたんじゃないのか? 用事があったのはあんたじゃないんだがな」

「なに?」

 

 距離を詰めた先で男が薄い唇に酷薄な笑みを浮かべ、右手を突き出す。

 肌に妙な違和感がある。理由を考える前に手首があり得ない角度で回り、ちぎれた人工皮膚の間から金属片が見えた。

 

(改造……!?)

 

 ぽっかりと空いた穴は、一部の傭兵の間で流行したサイボーグ手術の形跡だ。

 とっさに後ろに飛んで距離をとったバーナビーに、男がにやりと笑って言った。

 

「ヒーローってのは、ランチャーの直撃を受けても死なねえってのは本当かい?」

 

 あのジェイク・マルチネスを彷彿とさせるような、狂気を垣間見せる独特の口調で。

 男の腕に仕込まれた大口径の銃口が赤く光る。

 能力が発動したのは、本能だった。

 

「ッ!!」

 

 だが、その瞬間。

 バーナビーの目の前に青い火花が散って、視界が赤く染まった。

 血ではない。ハイビスカスの群生の間に倒れたからだ。

 撃たれてはいない。そんな衝撃ではなかった。

 震える頭をなんとか起こしたバーナビーの目の前に、使い込んだ革のサンダルを履いた男の足が見えた。

 

「対NEXT用の罠さ。あんた、見かけよりも頭に血が上りやすいタチみたいだな」

「く…ッ」

「おっと、動くなよ。心臓に負担がかかって死んじまうぞ。予定を狂わせやがって…一人で俺を追ってきた自分の迂闊さを悔やむんだな」

 

 男の方は一人ではない。近づいてくる複数の気配を感じて、バーナビーはこんな場面で指一本動かすことのできない自分の不甲斐なさに本気で腹が立った。

 

「しばらくは動けんだろうが、暴れられたら面倒なんでな」

 

 男が誰かから受け取ったのはピストル型の注射だ。それが無造作に首筋に当てられ、鋭い痛みが走る。

 死ぬかも知れない。

 急速に遠ざかる意識を他人事のように感じながらそう思った瞬間、バーナビーの心に過ぎったのは、恐れでも後悔でもなく、ただ自分に対する激しい怒りだった。

 

 

 

――― to be continued.

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択